全力1日ダイアリー

毎日精一杯生きる!

東京の水道水は飲めると言うが

「飲める」と「安全」は微妙に違う。物理的な特性の事ではない。人間の感情として、何もしなくても大丈夫と言われても何かするともっと安全なら「安心」なのだ。だからミネラルウォーターが売れる。

 
外国を旅行すると水道水は飲んじゃイカンとか、下手すると生野菜は食うなとか平気で言われるわけである。それどころか気をつけていても必ず一度は下痢をするという国もある。その後は大丈夫らしいけど。 


日本の場合、そういった物理的にヤバい状況ではなかろう。水道水は日本全国どこでも(基本的には)飲める。それはそういう基準で上水道施設が設計されているからだ。もっともそのせいでカルキ臭かったりするけど。 


昔は大阪の水が不味いと言われていたけど今はどうなのか。私は高校まで大阪だったんだが、確かに水が不味かった。苦いというか変な味がするんだよね。東京に戻って水道水ってこんなに美味かったのかと感激した覚えがある。


今は多分大丈夫だろうけど、あの頃は誰も浄水器なんか使ってなかったし、大体店にミネラルウォーターなんか売ってなかったもんな。だが今では浄水器がない家は珍しいくらいだし、ミネラルウォーターはどこにでも売っている。 


それはある意味贅沢なのだ。気持ち的に余裕がなければそんなものは使わない。貧乏だとか高校に行けないとかいう人でも多分、浄水やミネラルウォーターは飲んでいるだろう。もはやライフラインになってしまっている。 


でも水道水飲めるんだよね。別に不味いわけでもない。だが、わざわざそうするメリットがない、というよりはむしろ感情的にデメリットがあるというか。不思議だがこれは本当だ。私もうがいとかならともかく、飲む水は必ず浄水器を通している。

 
贅沢というのは感情的なものなんだろうなあ。昔のSFにこんな話があった。例えば帆船時代の海軍軍人が現代の戦艦に乗ったら、戦うだけの船に何でお湯が出るシャワーとか広々として清潔な船室が必要なのか判らないだろうと。

 
必要最低限というレベルは時代によって変わってくるわけである。異世界シャワー問題なんかもそれで、現代文明がない世界では現代人は生きていけない。だから召喚された勇者はまず生活環境面で挫折するのだ。